【神戸市中央区】徳力稲荷大明神

中央区

阪急神戸線「春日野道」徒歩3分 

阪神本線「春日野道」徒歩11分

神戸市と尼崎市を結ぶ大道路・山手幹線の側に、徳力稲荷大明神があります。

小さな稲荷様ですが、鳥居は綺麗で、整備されている様子がうかがえます。

石造りの階段は年季を感じさせ、古き良きな雰囲気です。

隣には月極の駐車場があって、子供たちが集まってスマホゲームをしていました。

ゲームもスマホで済ませる時代か

手水舎は、枯れていました…

初めて見る長さの蛇口です。

取っ手が外されているので、年始の限られた時期にのみ水を張っているのでしょうか。

手洗いを省略してお参りしようと財布を取り出しましたが、なんと賽銭箱が見当たりません。

よく探せば見つかるかもしれませんが、一人で賽銭箱を探しているとなんだか不審者みたいなので、心の中でお賽銭をしました。

見ての通り、小さい神社です。御朱印もお手洗いも駐車場もありません。

敷地は大きい自動車よりも狭いかもしれません。

ですが、敷地に遺された碑文には、この神社が歩んだ歴史が記されています。

これには、「狐川徳力稲荷 陸軍少将 秋川正義」の文字が刻まれています。

秋川正義とは実在した陸軍少将で、Wikipediaにも記事があります。

秋川正義 - Wikipedia

記事によると、1933年に少将へ昇進したとあるため、この石碑はそれ以降に造られたものとわかります。

もう一つ、神社を再建した記念としての碑文が立っています。

世話人とあるので、先ほどの秋川氏に従って再建に協力した方たちのお名前が刻まれているのでしょうか。

写真では見づらいですが、「昭和十三年 四月吉日」と刻まれています。昭和13年は1938年です。

1938年4月は、日中戦争が激化するなかで、政府が資源を統制するために国家総動員法が施行された時期です。

少将の下で地域住民が一致団結し、荒廃した神社を再建することで、戦勝を祈ったのだと思います。

最後にもう一つ、別の石碑があります。

「昭和三十四年 十二月吉日 再建発起人 平田福松」

戦後に再び荒廃した神社ですが、昭和34年(1959年)に平田氏が再建した事実が刻まれています。

遠めの写真を撮るために、道路を挟んだ向かい側から神社のほうを見てみると、

さっき隣で遊んでいた小学生たちが、神社のほうに手を合わせてからその場を離れる様子が確認できました。

戦前の再建から88年、この徳力稲荷大明神は、今もなお地域を守り続けています。

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